アーモンドもなか

一般人の偏愛雑記です。ジャニオタでもあります。

ねほりんぱほりんが興味深かったので色んなオタクを考察してみた

 

2/7放送のNHKねほりんぱほりん ホストに貢ぐ女・前編」が面白かった。この番組は様々な界隈のディープなオタクたちを度々話題に取り上げており、私の好きな番組である。私はホストクラブに行ったことはないが、番組で話す女性たちに共感できる点や逆に理解できない点など興味深い場面がたくさんあったので、ここ数週間分のねほりんぱほりんを見返してジャニオタ・アニオタ・腐女子・ホス狂を比較して気づいたことをまとめた。私自身はジャニオタなので、基本的にジャニオタ目線であることはお許し願いたい。

 

※以下に書くことは個人の見解であり、すべての人がそうだと決めつけるものではありません。

 

 

姫と担当とカブリ

ホスト界隈ではサービスを受ける側の女性を「姫」、姫が指名するホストを「担当」と呼ぶのだが、姫と担当の距離は半端なく近い。私たちジャニオタからすると、お気に入りの担当とお酒を飲みながら話したり、外でデートしたり、もはや寝るなど夢のまた夢である。それが、お金を払えば公式でできてしまうのである。また、私がジャニーズ界隈と決定的に違うと感じた点は、ホスト界では「お金をたくさん使ってくれる子が当たり前に大事にされる」ことである。ジャニオタは、ジャニショで写真を何百枚買おうが、金の力を使って全ステしようが、担当がこちらに使ってくれる時間が金額に比例することはない。多少認知されたりファンサされたりはあるかもしれないが他のジャニオタより圧倒的に大事にされることはほぼないだろう。しかしホストクラブではお金をかけたらかけた分だけ担当は自分に時間を割いてくれるし、目をかけてくれる。愛を確実に金で買うことができる。だからこそジャニオタとは桁の違う金が動き、ハマれば深い世界なのであろう。

 

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※エース=その月で一番お金を貢いだ客。ホストからも店からももてはやされる存在

 

さらに、ホストクラブでは、客を競わせるよくできたシステムが完全に構築されている。それが顕著に表れているのが”ラスソン”である。ラスソンとは、ラストソングの略で1日で最も売り上げたホストが営業の締めに歌うことなのだが、このラスソンを歌う担当を横で見れるのはその日1番お金を落とした姫なのである。ホスト界において担当が同じ女のことを「カブリ」というそうだが、その日1番の姫は「私が今日この店で1番金使ったから。」と、その他のカブリ達にドヤ顔で威圧できるのである。お金を落とせば確実にカブリより上に行けるので、当然競い合ってクラブに金を落として行くという訳である。ようでけたシステムやがな〜〜〜怖いで〜〜〜カブリと聞くと、「同担」よりもネガティブイメージが強くて火花が散ってそうである。

ここで考えたいポイントが、ジャニオタ、姫はそれぞれ何にお金を払っているのかということだ。姫たちは、それぞれに目的は違う思うが、担当が自分に使ってくれる時間や直接的な愛、エースという座について他のカブリよりも上位に立つという承認欲求を満たすためにお金を払っている。高いお酒やシャンパンタワーはそのものが目的なのではなく、その先にある愛や地位が目的となっている。ではジャニオタはどうだろうか。お金を使う先は、コンサートやCD、BD、グッズなどであるが、これらはすべて間接的なものであり、自担からの直接的な愛ではなくあの曲好きだから聞きたいとか、自担の美しい顔面が見たいとか聴覚的や視覚的な満足感に重きが置かれている(ジャニオタもグッズ購入で売り上げを伸ばして担当Gを売れさせたいみたいな目的もあるかもしれないがそれがメインではないという意味)。前者が承認欲求なら後者は自己満足的な要素が強いように思う。

 

2次元と2.5次元

続いて2次元しか本気で愛せない女たち(アニオタ)だが、彼女らはアニメを見て、アニメのグッズを買い、自分の満足にお金を使うという点においてはジャニオタと変わりはないように見える。しかし、アニメ界のオタクたちは3次元の汚らしい部分をシャットダウンしている。それゆえ1番の主張が「2次元は裏切らない」ことなのだ。3次元の人間たちの物理的に汚い部分(うんこしたり毛が生えていること)はないものとして扱われ、精神的に汚い部分(騙したり裏切ったりすること)はあったとしてもそれすらも理想の世界として昇華される。アニメにもよるだろうが、現実の汚さを題材にしていないものであれば、「こんな心が綺麗な人間現実にいるわけねーだろ!」とか「こんな設定は3次元ではありえない」と考えるのではなく、それを楽しむのがアニオタであろう。また、今回興味深かったのは、私は今まで2次元が好きな人はその人たちが我々のいる3次元に降りてくる妄想をして楽しんでいると考えていたが、

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3次元から2次元へと行く方法を考えているということである。この方は次元の違いは精神的な問題だと言っていたが、そもそも考え方が全く逆だったことに衝撃を受けた。

ここでもまたジャニオタとの違いを考えてみたのだが、ジャニオタとアニオタも似て非なるものである。人それぞれに違いはあれど、「自担はうんこなんてしませんっ!」と本気で思っているジャニオタは少数派なはずだ。むしろ、ケツ毛ごと愛します@お妙さん な人の方が多い。また、自担は芸能界という3次元の中でも最強レベルに汚い世界にいるのだが、自担がそんな裏切りや嫉妬心の渦巻く世界で生きぬいて行く様を愛している。少なくとも私はそうだ。純粋な理想の世界を愛するアニメオタクたちと、現実を含んだ理想の世界を愛するジャニオタたち。どちらも尊いものである。

 

腐女子と自意識

これまで見てきたオタクたちは、自分自身は「女」であり、女としての満足感を求めていた。しかし、腐女子だけは、自意識が他のオタクたちと異なっており私にはない感覚だったので考えてみたい。

腐女子」と聞いて、全く何のことか分からないという人たちは減ってきたのではないかと思う。BL、いわゆるボーイズラブが好きな女性たちである。(それなりに年齢がいってくると「貴腐人」と呼ぶらしい)彼女たちも、お金を使う先はBL漫画や小説、ゲームなどでこれまでと同様な使い道であるように思う。しかし、これまでのオタクたちとは圧倒的に異なる点がある。それは、視点である。彼女たちは、ことが致されている場にいたいのではないらしい。

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その場にある壁やほこりといった無機物になって、見守るという視点なのである。BLは男同士なので、決して自分を重ねない。むしろ、自分を重ねることによって感じる自分と理想の距離が辛いのだ。そのため、月9や少女漫画といった可愛くて元気な女の子が主役の作品には嫌悪感を感じる人もいるようだ。この自意識の違いは、他のオタクとは決定的に異なる点だと思う。ホス狂もアニオタもジャニオタも、その世界の中に確固たる「女である自分」が登場していて、”自分”と”好きな対象”という図がほとんどだったが、腐女子は違う。女をログアウトし、塵や壁になってその場を見守るのだ。”あるべき女性像”から解放されて自由に楽しめる世界なのだ。求めているものの角度が異なっている。”あるべき女性像”に対するコンプレックスからの逃避なのかもしれないが、オタクの世界はなんでも、裏を返せばそういうコンプレックスがあるからこそ成り立つ世界である。

 

これは腐女子だけではないが、彼らの多くは「普通の人」に擬態して日常生活を送っている。つまり、腐女子であることを隠して生きているのだ。これは、やはりまだまだオタクの生きづらい世の中であるであることを示している。他人の趣味をバカにする人というのは少なからずいて、私もジャニオタをバカにされたことは幾度となくある。大抵、そういう人たちには本当に好きな趣味がないことがほとんどなのだけど、そういう人に無駄に傷つけられては損なので、一番傷つかない方法をとった結果の擬態であろう。また、腐女子として番組に出ていた1人の方が「腐女子であることをバカにされないために女子力を武装する」と話していて、これには首がもげそうなくらい頷いた。中川翔子さんを筆頭に、渡辺麻友さんや山本美月さんなど”アイドルでオタク”だったり、”モデルでオタク”といった、社会でもてはやされる側の人達がオタクを公言するケースも増えてきた。こういう方達はその趣味ごと愛される。だから、「そういうの好きな人たちはオタクっぽいよね〜キモいよね〜」という社会の偏見に負けたくないから、「◯◯好きなんでしょ?(笑)」と小馬鹿にされても「うんそうだよ、でも可愛いから。」と口に出しては言わないにせよ、絶対趣味に文句言わせない見た目を武装する。腐女子に限らず、”可愛いオタク”はたくさんいる。ジャニオタに限っていえば、#ジャニオタとコスメ というタグが存在するくらい、近年のジャニオタは美意識が高い。オタク=デブスで卑屈で根暗でコミュ障、という固定概念はもう時代遅れである。まだまだ理解されない部分も多くあるかもしれないが、荒波に負けずに女子力武装を極めていきたいと思う。

 

来週のねほりんぱほりんは「ホストに貢ぐ女・後編」である。カットするのが勿体無いということで急遽前後編になったとのことで、さらにディープな世界が垣間見れるかもしれない。非常に楽しみである。